障がい児と出会うとは、海外旅行のようなもの。

初めまして。

私は、2歳のダウン症の女の子のパパです。

ダウン症の赤ちゃんを授かったご家族へ、少しでも前向きになれるようなメッセージを届けられたらと思い、娘との生活から教えられた大切なことを書きたいと思います。

私にとって、障がい児に出会うとは海外旅行に行くようなものだと思います。

初めて降り立ったその国では、見るものすべてが目新しくて、

その土地特有の景観や人々の生き方に触れ、これまで知っていた世界はごく一部で、自分の世界観が広がっていくのを感じます。

初めは、異なる文化や言葉のゆえに戸惑うことがたくさんあります。

けれど、しばらくすると自分がその国の魅力にとりつかれていることに気づきます。

それがほんの短い滞在であったとしても、一生忘れられないような思い出にもなります。

新しい世界観は、人生のあらゆる状況において、違いを受け入れる力になります。旅行する前の自分に戻りたいとは決して思いません。

このように書きおきをしてから、

障がい児と暮らすとは外国に住むようなものかもしれません。

私は幼少期から外国で育ち、自分がマイノリティであることを日々感じながら生きてきました。

自分のアイデンティティに悩み、「一体自分の居場所はどこにあるのか?」と不安になりました。それでいて自分をありのままに、そして見た目は違えど同じ人として受け入れて愛してくれる人々との出会いによって支えられて来ました。

ダウン症の娘をありのままに愛するのは、私自身「受け入れられた」という経験があるからかもしれません。

外国に暮らすとは、違いによって、戸惑いや悩みを抱えることに間違いありません。良いことも、不都合なことも、すべてを受け入れて生活が成り立ちます。しかし、やはり気付かされるのは、違いは表面的なものに過ぎず、私たちは深いところで全く同じなのだということです。

私たちは障がいがあってもなくても、同じように尊く、同じように愛を必要としていて、同じように互いに愛し合って、支え合って生きるように神に造られた存在なのだと分かった時、

本当に大切なことは、

無条件の愛だと分かりました。

私は娘を愛しています。そして、娘も私を愛してくれます。障がいとは、特別な必要(スペシャルニーズ)を持っているというだけで、その命の価値に違いがあるわけではないのです。私たちは同じように高価で尊い存在なのです。

Sちゃんのパパ
(北海道札幌市)